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時は平成
年の春
首都圏在住時
熱海で出張用務を済ませ
快速アクティのグリーン車
で帰途しようとしたら、ちょうど「スーパービュー踊り子号
系
全車指定席」の時刻
席が
ったので乗りました
(隣は
系のよう
)
指定席(特急)券は、乗車時に
アテンダントさん
がチェック
≒関東の私鉄有料特急方式なのは、(B特急区間でありながら)A特急料金適用電車だけのことはある
車内改札が無い【快適】さ
さらに、熱海を出ると、横浜までノンストップ with 戸塚で(同じくA特急料金適用
の)成田
エクスプレスE
系を追い抜き
(←走る線路が違うので“たまたま”
)
私が、初めて系に乗ったのは、平成
年
甲府
系ふじかわ
富士
系で熱海乗換
伊豆急下田へ行った時だと思う
その時は、伊豆急のオリジナル車が淘汰され旧国鉄
系
旧東急車が投入されていた頃
(観光
せずに
)折り返し、河津まで
伊豆急
バス
修善寺
伊豆箱根鉄道(JR乗り入れ
系
)で三島へ行きました
「鉄道ネタ復活」
何にしようかと、パソコン内データを探したところ
地元神戸市の阪神電車の春日野道駅ネタにしました
かつて「日本一狭い+危険なホーム
島式
」を残したまま、両側に相対式ホームが完成したのが平成
年
撮影したのは
平成
年頃
だったと思うが
何度か、通過
はしていたが、なかなか【春日野道駅で降りること】が無かったからじゃないかな
山陽電車の回送(大石で折り返し
)が通過中(営業運転時代(の晩年
)は、当駅+岩屋に停車
し、西灘は通過
)
子供の頃の、神戸
大阪の移動は、もっぱら(当時運賃が高かった
)国鉄よりかは、(大阪市営地下鉄
乗り換えに便利な)阪神特急
(停車駅は、御影・芦屋・西宮のみ)
三宮を出て、急に減速警告ベルが鳴る
春日野道を通過
速度が上がって
明かり区間が見えると
岩屋駅
って思い出が懐かしい
春日野道・岩屋・西灘とも、震災等を経て、すっかり様変わり
昭和の時代から考えると、【隔世の感】があります
さて、時は変わって、平成年
月
富山県富山地方鉄道射水線の廃線跡を探索しました
その数年前に、旧加越能鉄道 新高岡(現高岡駅前)
越ノ潟を制覇し
無料フェリー
で
旧新港東口駅跡に、友
に迎えに来てもらい
新
富山電停(現地鉄市内線)まで、廃線跡を探索した際の「復習
」のようなもの
本記事のスタートは、逆L字型の「カドの部分」たる《四方(よかた)》駅の南隣の【鯰鉱泉】駅跡から
それを「アップ
」 なんとなく、「ホーム跡っぽい」
私好みの
良い「朽ち果て」方
≒遺構感
載
この右側を線路が、南北に走っていたようだ
いわゆる「
線のみ」の『棒線』駅
私が子供の頃は、まだ「射水線が現役(ただし、高岡市内は、加越能鉄道と分離後
)」で、
+
=
両が、コトコトと走っていた写真を覚えている
終点なのに「
新港『東口
』
」って呼称が、なんとなくおかしかった
つづく
もはや本シリーズも最終回
阪神高速から分かれ、鉄道的カーブを描く
廃線跡軌道路盤
ここで、一度アパートが「廃線跡を絶ち切り」
ます
レール
の“モニュメント
的埋め込み”が、プロムナードに華
を添える感じ
この建物に
遮られても、その奥に遊歩道
は続き
終点平野電停に辿りつきます
こればっかりは「奇麗に整備されていても
」構わない
って感じ
終着駅(電停)らしさを演出
平成年度の「貪るような廃線跡探索
関西地区」は一先ず終わり
次回は
北陸地方の廃線跡です
つづき
阪神高速の下に続く廃線跡
南海平野軌道線
(多少変わっているかもしれないが
)鉄道的カーブを描く
プロムナード
散歩道
廃線跡
同じく「言葉は要らない
」まぎれも無く
昭和
年代には、ここに《鉄路》があった
次回は、終点平野電停跡付近
最終回です
今回からは貴重な「大阪市内の路面電車」で昭和
年まで走っていた
「南海電車」の“軌道線”(現《阪堺電軌》)である「平野線
」の廃線跡
路面電車の廃線跡だと
道路に飲み込まれて
「分からない
」ことがあるが、幸か
不幸か
専用軌道が多かった路線だった
ので、意外と遺構があります
地下鉄谷町線(の延伸
八尾南
が平野線廃止の代替)の現平野駅で降りて、やや北へ歩く
阪神高速松原線の下部分が、公園になっており
レール跡が、モニュメント的な遊歩道となっている
その名もズバリ「なんかいでんしゃ ひらのみち」
この「プロムナード
線路跡的モニュメント」は、高速道路から分かれても、続きます
私の考え方では「ちょっと奇麗すぎる」遺構
だが
路面電車だけに、【街中に溶け込んで】暖かく残してくれている
って≪好意的
≫に考えよう
つづく
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