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2015年1月31日 (土)

渡らずの橋-1

つづき 渡らずの橋 を行く

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両編成

北側から、水窪川を Uの字に描いて

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過ぎ去って行きました

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おそらく「豊橋行き」だったでしょう 次回は、《横から撮影》

2015年1月29日 (木)

渡らずの橋-0

飯田線シリーズ

平成出発地点は飯田市だが場所を説明すると、中部天竜駅から北上過日アップの夏焼トンネルまでを旧線とした、新線に当たる、城西向市場駅の間中央構造線の断層のため、トンネルも掘れず+川沿いは落石の危険があるため 地盤不良地域を避けるように、水窪川を「渡らない橋」≒渡らずの橋として有名な地点

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下流側の小さな橋から、見ることができます

正確には「土砂崩壊を避けるために、川の上に線路を敷いた」ってところか

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じっくり見ていると

系普通電車が走ってきました

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続きます

2015年1月27日 (火)

夏焼けトンネル~LAST

最終回大嵐駅ホーム跡が左右奥が現飯田線大嵐駅舎+本線のトンネル

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去り際に もう夏焼けトンネル@つ目を振り返る

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回前にも書いたが)ここは浜松市市町村併の弊害が走る浜松駅をイメージすると隔世の感があります

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次回は、飯田線シリーズを続けます

2015年1月25日 (日)

夏焼トンネル続き

夏焼けトンネルから出て南側を見たところ 前回書いたようにこの地点は廃線跡では無くなっています

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このように、天竜川に沿って道は続きますが、廃道扱い命を捨てる覚悟でないと、「旧線跡」は確認できません

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で、元に戻って、これが「大嵐(おおぞれ)駅旧ホーム」跡

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よって、大嵐駅から外れて、夏焼トンネル入って、出る直前までが、飯田線の旧線跡になります

 この「ホームの“朽ち果て”感」はたまりません

2015年1月23日 (金)

夏焼トンネル

JR飯田線大嵐(おおぞれ)駅佐久間ダム方向への旧線跡が、≪夏焼トンネル≫として、通ることが可能だ ここを平成月に行ってきました

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大嵐駅から南へ旧線跡が始まっているつのトンネルが連続しているが奥が夏焼トンネル車線ってかあすれ違いできません

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これは南側出口幸いとすれ違うことは無かったがだったと思う

後から気付いたが、廃線跡っぽい馬蹄型トンネルですが、この部分は「旧線跡」ではなく、実際の旧線跡は、トンネルの途中から、南東側へズレていたらしい

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左へ行く道は、集落がある しかしどことなく「近寄りがたい」絶海の孤島っぽさがある

ところで、長野県側から行ったが、ここは「静岡県浜松市天竜区」大嵐駅前の橋を渡るとそこは、愛知県旧富山村あの「小和田(こわだ)駅」のように、県の境が近い地区です

2015年1月21日 (水)

西郷隆盛終焉の地

平成年の年末鹿児島市の地にて

≪西郷隆盛終焉の地≫って聞いて、駆け付けないわけにはいかなかった

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ドキドキしながら、階段を駆け上がり

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西郷さんが【自決した洞穴を見ることができてちょっぴり「歴史を体感」できました

鹿児島市は、歴史上の人物の《の地》が多くて、歴史好きにはたまらなかった思い出があります

次回は、鉄道ネタで

2015年1月19日 (月)

敬天愛人

 ちょっと前の鹿児島ネタ続き

平成日の鹿児島本線 鹿児島駅現鹿児島中央駅の間にある、「城山トンネル(だったかな?)」運転系統上は【日豊線】の電車が通る単線並列のトンネルこの時は、≪西郷隆盛≫巡りをしていた

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トンネルの抗口の上には

右から「敬天愛人」の文字が

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西郷さん関係の言葉だったと思うが天を敬い人を愛する」って意味

心穏やか≒に匹敵する、気に入っている言葉

次回は、西郷隆盛ネタで

2015年1月18日 (日)

下河原線廃線跡

ネタ切れなのでパソコン内にある「鉄ネタ」~古い順に列挙

東京都中央線国分寺駅~府中競馬場前まで走っていた、旅客+貨物線の下河原線跡を平成年に何度か探索した写真です

 府中本町駅近く西側にいかにも鉄道的カーブ+分岐の歩道があり、今は「下河原緑道」となっているのがそれ

これは、南武線に乗って、府中本町分倍河原までの間で、線路を跨ぐ箇所のさらに北の地点だったと思う

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道路の北側に線路と簡易ホームが【モニュメント】として残っている

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南側を見た写真だと思うが、「整備されすぎ」ているにせよ、廃線跡フリークにはたまらない場所だ

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もっと南府中本町駅近くでは、「フリークでしか“それと分からない”」鉄道的カーブを描きまたもや当時は感激した覚えがあります

2015年1月16日 (金)

撤去された遺構

平成年に、初めて「関越道」を通った際「廃線跡だ」って気付いた、関越道を跨ぐ「鉄道遺構的」線路なんの遺構だろう+たぶん貨物線?って思ったら、東武東上線高坂駅から延びていた、太平洋セメントへの貨物線だったらしい

 しかし、年頃?の、圏央道関連工事で、撤去されてしまい今や両側の橋台のみ残るそれを、走行中の車から激写 跨線橋の向こうの左(北向きなので、西側)に橋台が残る

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こちら、東側の橋台 いずれにせよ、往時が偲ばれるこの線路に列車が走っていたことを知っていた≒見た人はいるのだろうか&廃線後、多くの人が廃線遺構を「なんだろう?」って思っていた人はいるはずだ

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本当は、往路(南行き)に写真を撮りたかったのですがカメラ上手く作動せず帰路は必死に「シャッターチャンス」を待っていましたまあ、なんとか、アップできる材料となりました

これでネタ切れなので過去の写真から「アーカイブ的」に、ネタを探します

2015年1月14日 (水)

1月2日の光景

元日は、配偶者実家宅で日は自宅へ帰途

途中の料亭月に、「結婚お披露目会」みたいなのをやったところ年経って「こんなところにあったんだ」感あり

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「鉄道ネタ」を少し

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西武池袋線入間市駅近辺元日は、旧レッドアロー色のNRA特急「ちちぶ」を見ました

年末年始リーズは次回が最後 鉄道ネタで

2015年1月12日 (月)

元日の食卓

鉄道ネタは閑話休題 今年の元日の、配偶者実家での親族の集まり

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 御節料理年以上ぶりかもしれないこんなに並んだのを見たのは

 義弟夫妻(子)+義両親併せて家族集合(のためして、新年あいさつ語り

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おまけ 義弟夫妻が飼っているワンチャン全く吠えず、おとなしい子

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 ってな感じで、今年が明けました 次回は鉄道ネタ復活で

2015年1月10日 (土)

年末プチ旅-4(Last)

帰路戸倉駅到着イベント車両「ろくもん」が留置されていました

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同じく、ろくもん+長野色両編成+しな鉄色両編成も留置中

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長野駅到着時しなのの横に(消えゆく)「妙高号国鉄色」が到着

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終着なので、『回送』表示ですが、JR東海車両国鉄車両のコラボ

これも月で見納めです

以上で、年末プチ旅シリーズを終わり 次回は年始ネタで

2015年1月 8日 (木)

年末プチ旅-3

小諸駅正面から、懐古園へと渡る跨線橋上にて

左、しなの鉄道番線線路置いて右、小海線用番線さらにその右の線は、しなの鉄道用除雪車線路なので小海線用番線の線路は、手前で途切れ しなの鉄道≒旧信越線線路とつながっていない

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もはや「別会社」は、明白 信越線時代は、信越線電車が、架線が張られた番線に入ることもあった中央東線小淵沢駅の小海線ホームの活用と同じが、もはやそれも叶うはずも無く≒かつての、「のべやま」「すわ」?のような【信州循環列車】の運行は不可能ってこと

 新幹線開通 並行在来線セク化の弊害ここにありって感じ

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JR東日本から譲渡された、両編成系は、JR東日本長野支社色⇒従来の「しな鉄」色に塗り替えられたものもありせめて別の色彩にして欲しかったが

チラっと、「北しなの線開業」の旗も見えている

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帰りの列車は、快速長野行き側面にはなかったが正面の幕には「ワンマン」の表示が≒戸倉までは、快速とはいえ、ワンマン運転でした

出発後、上田までの間で、翌朝の「しなのサンライズ用」系あさま色の回送列車とすれ違い

かつての「しなのサンライズ」は、×両編成だったが、廃車で、JR東日本から両編成を借用≒しかも、毎日運転

 ライナー券収入はしな鉄が持つだろうが、車両使用料のペイを考えると安価だろうが儲けは少ないかも

2015年1月 6日 (火)

年末プチ旅路-2-2

ちょっと鉄道ネタから外れます

(コンビニなど無いので、運動がてら)小諸駅北西側をのんびり闊歩小諸「なる古城のほとり」的な大手門らしきものあり

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こういう歴史的遺物の発見は嬉しい小諸駅は、南側に「懐古園」があるので、北側には何もない って思っていたがどうやら、旧信越本線(現しなの鉄道)が、小諸城址的な箇所を【貫いて】いるようだこの点、平城京跡を貫いている、近鉄奈良線大和西大寺新大宮付近と、同じかも

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そして、駅へ戻ると、さらに「レトロ調」なレンガ造建物発見

「油庫」という、燃料補給的な、明治時代の遺物みたいで、さらに感激

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次回は、小諸駅を懐古園側へ渡る跨線橋からの、鉄道ネタですつづく

2015年1月 4日 (日)

年末プチ旅-2

小諸駅到着番線に、JR東日本の系湘南色奥の番線に小海線用キハ系が停車中信越線であった時代を彷彿とさせる

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駅舎一応しなの鉄道管理≒しな鉄仕様右側に、JR用みどりの窓口あり

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全景裏口側に懐古園などの名所旧跡があるも、新幹線が佐久市を通ってから、すっかり廃れた感は否めない

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駅前にはコンビニなどは無い古き良き時代が残っているとも言えなくもない

2015年1月 2日 (金)

年末プチ旅-1

(うまく写っていませんが)上田城へと続く、旧上田交通真田傍陽線廃線跡路盤新幹線の高架下です駐車場となってきれいなカーブを描いています

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(廃線跡では無いですが)(現しなの鉄道)上田駅番線(画面奥)の向いホームには、旧上田交通現上田電鉄別所線のホームがありました

 今は、高架になって乗換距離が増えました

「奇麗になると不便になる」典型ですしかも なぜか新幹線に乗ると (しなの鉄道はあるのに)上田電鉄の乗り換え案内はありません

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ちょっと変わって田中駅[東御市]の代表駅駅前の温泉が著名なので、【東御】駅と改名した方が、「田中」より良いと思うが ローカル線では難しいだろう

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つづく

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