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2014年12月31日 (水)

年末プチ旅-0

しなの鉄道プチ旅小諸に行ってきましたミニシリーズですやっぱ、『鉄道に乗らないと』年を越せません

屋代駅の、長野電鉄屋代線ホーム跡しっかり残ってましたが、広告類は撤去されていました東屋代駅付近からの、路盤跡も踏切付近の線路含め残っており、往時を偲ぶことができます

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屋代戸倉間の新駅 そのものズバリ【市名】の「千曲」を称する

「ちくま」だけ見ていると、今は亡き「急行ちくま」を思い出す市名を冠した駅だが、快速も通過する小駅なので、地名の「寂蒔(じゃくまく)」で良かったのではないかな

難読駅名で、勝負するってかあ

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乗った電車は、「しな鉄カラー」の両編成戸倉止同じホームで、JR長野色のままの両編成軽井沢行きに接続です

奥の車庫があり、JR長野色&しな鉄色両編成が留置中 しな鉄カラーは、無くなってしまいました

 来年に続く

2014年12月29日 (月)

直江津行きが無くなる!

月改正で、長野直江津の直通は無くなり≒妙高高原駅での乗り換えとなる(上手く写っていないが)【信越線下り】って表記も無くなる=しなの鉄道北しなの線[≒最近流行の?キラキラ路線名ではなく、オーソドックス9]になる長野駅での「直江津」行き表示は消える さらに、妙高号系も無くなる

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(また上手く写っていないが矢印の長野駅より右側の水色も、しなの鉄道に変わるので、色が変わるだろう貴重な写真かも

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北陸新幹線+北しなの線開業まであと

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長野市内だが、「北陸」新幹線って呼称を取り入れてくれている

北陸新幹線(長野経由)が定着するか(あさま号のみ)長野新幹線が残るのか『直江津行が無くなる』ことに代わって、注目かも

2014年12月27日 (土)

佐久諏訪電気鉄道未成遺構

久々の鉄道ネタ茅野市にある、諏訪地区小諸の布引電鉄(廃線)とを結ぼうとしたといわれ、建設が中止となった「佐久諏訪電気鉄道」の未成線橋脚遺構

何度も近くまでいったが分からず ようやく捜しあてました

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場所は、国道沿いの「デイリーストア」を入った住宅地の奥 車を止めるところに苦労するが場所的には、探索しやすい

所在無げに、一対の橋脚がポツンと建っていた

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「主(あるじ)≒橋」の無い、橋脚ほど、「廃線・未成」好きな者の“意欲をそそる”ものは無い

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アップ ずっと見ていたいくらい

 付近には、もっと【遺構がある】らしいので、また来てみたい

2014年12月24日 (水)

白樺リゾート~おまけ

(前回の予告では)鉄道ネタ復活でしたが、しばしお待ちを

白樺リゾートを去る直前の愛車 雪に埋もれて長くつを持っていなかったことを悔いた とりあえず、雪を落として、車内のスコップ&ブラシで、除雪除雪

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ほいでもって、雪をかきわけ、自宅近くに戻ってから 結婚直前に行った「オムライス屋」に

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【特製】オムライスを食べて、周年の記念を締めました

2014年12月22日 (月)

白樺リゾート-2

夜が明けました外はすっかり雪景色

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車山・霧ヶ峰もスキー客が喜びそうなくらいの、雪状態

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これだけ見ると、どこか“異国の香”が

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朝のバイキングは 昨夜と同じ会場だが、時間がゆったり流れて行く感じがする
 
お客は、帰路にスキーに 銘々散っていく

私たちは、これにて帰路に着きました

次回は、久々この地域に関連した「鉄道ネタ」が入ります

2014年12月20日 (土)

白樺リゾート-1

池の平ホテルつづきディナーバイキング全景

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牛ステーキはその場で注文オーダー焼き方式は変わらず陳列順は変わりあり

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こんな感じで、地ビール+摂食は多品種少量で

デザートは別腹ですがそれでも少量でした

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当日はこれにて睡眠翌日は雪景色を つづく

2014年12月18日 (木)

白樺リゾート-0

池の平ホテル結婚記念日に行ってきました

部屋は、平成年以来、スキー仲間と来て、何度も泊まった部屋と同じ作りの和洋室

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これを人で泊まるのだから、余裕ありスキー仲間と来た時は、老若男女入り乱れ、ゲームや飲み会やで盛り上がったことを思い出す

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目的は世界のバイキング時から

での飲み放題付きはグっとお得

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若干昔の員状態に比べて、いている感があったが、それなりに楽しみました

でも、食べる量も飲む量も 減りました

つづく

2014年12月16日 (火)

遺品整理

母が亡くなって年とか月ようやく、実家を片づける決心がついて数社に見積もりをもらって、遺品整理しました

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私が小さい頃は、入口の右側にあったキッチンリフォームして、反対側に移したものです ガスコンロも、食器も片付いてしまいましたが、やろうと思えば、この「キッチン全体」も外せました

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タンスや冷蔵庫や食器棚類が無くなりガランとしてしまった居間

部屋はすっきりしましたが気持ちの寂しさは残ります

残した【アナログ】テレビビデオカメラ再生用で、いつか母の思い出を見ることもあろうと思う

2014年12月14日 (日)

故郷の幼稚園⇔小中校

現在の実家から、しばし散歩 神戸市兵庫区の「通った幼稚園小学校中学校」は隣接しているので、すぐそばのよく遊んだ公園を含め、懐かしみたかったのだが

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奥から、小学校幼稚園中学校のはずが奥の小学校は健在(ただし校舎は間の幼稚園は消滅公園にチェンジ手前の中学校は、新校舎建築中しかもされるので、名称は消えるだろう

さらにその手前にあった、“よく遊んだ”公園は、資材置き場になって消滅していました

これも時代の流れなのか 卒業して年以上経過すると、懐かしむものも懐かしめなくものだ

2014年12月12日 (金)

神戸ハーバーランド

故郷神戸シリーズも、間もなく終わり

神戸ハーバーランドモザイクガーデンへ、配偶者と一緒に行ってきました

年以上ぶりかも

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モザイクガーデンから見る、六甲山系ポートタワーホテル群中突堤

震災後すっかり変わりましたが、この光景は変わらないかなあ

2014年12月10日 (水)

旧阪神前バス停

神戸市の中心街JR三ノ宮駅&そごう前

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このバス停の名は「阪神前」地下が、まさに「阪神電車三宮駅」があったから

だが月~?か)バス停名が「三宮センター街東口」に変わった

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子供心に「阪神前」ってなんか“違和感があった”からまさに繁華街たる「センター街」の東入口だからちょうどはまったって感じ

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同じく、神戸交通振興バス{(地下鉄山手線開通で不便になった)湊川公園楠町大倉山下山手中山手(石屋川方向の系統路線)新神戸or貿易センターをカバー}も、バス停名を変えた

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しかし「さすがに」阪神バス(阪神電車系列)は、変更できないのだろう、同じ場所にありながら「阪神そごう前」を名乗っている

「同じ場所にあってバス停名が違う」こと「違う場所に同じバス停名がある」ことは、都市の規模や民間・公営バスにかかわらずあることだが、故郷神戸でも痛感

2014年12月 7日 (日)

JR神戸駅1番線

JR神戸駅番線は国鉄時代の「始発列車」専用乗り場由緒正しい箇所

小学校時代伊勢への修学旅行で、EFけん引の臨時列車に乗り番線ホームから乗れて感激した記憶あり

しばらくは、「古びた良い感じ」を醸し出していたが

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でも、今やすっかり整備された感あり

それは、番線で、平日朝の大阪方面快速(外側≒列車線快速)が、新快速を待避するため

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兵庫乗車&元町下車の人は、平面での乗り換えはできない≒階段を使っての乗り換えになるが、緩急接続ではある

以前は、東加古川神戸芦屋でも抜いており、内側線の各駅停車の方が、快速より早かったこともあり

それが、新快速がオール芦屋停車になって、神戸以東「先発先着」になって解消されました

2014年12月 6日 (土)

神戸駅前バス乗り場

久々の、故郷神戸市中心地「三宮駅前」に市バスロータリー的なものが無い神戸市内では、JR神戸駅前のバスターミナルは、異質?な感じ

ちょっと前までは【古き時代】の香りがあったが、路線・系統の整理によって、既存の状態のまま、表示類が新しく生まれ変わった

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系統が神戸駅前に現れた

神戸生まれ&育ちとしては、どこを通るが良く分かるが、慣れない人には循環折り返しが複雑に絡み合って分かりにくいかも

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私の記憶で番って言えば、番台は石屋川車庫所属として、石屋川車庫阪急春日野道三宮明石町の「急行」で、晩年は「臨三宮神社前止明石町バス停は、「大丸」の東側の細道だった

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番は、映えある「伝統の一ケタ系統」だが、近年、夢野町回り≒正月専用経路を通る番が新設された
 神戸市バス一ケタ系統は、番は、子供の頃の記憶とほぼ同じ路線を踏襲して健在番は、廃止・復活・変更を繰り返したが、健在さて、輝く「番」は“永久欠番”なのだろうか 早く復活して欲しい

2014年12月 3日 (水)

阪急新大阪駅未成遺構

未成遺構物としてはあまりにも有名な阪急新大阪線の計画の名残

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計画がとん挫し新幹線新大阪駅番線工事の影響で、撤去されたかと思っていたが残っていた奇麗な線分のホーム&線路の土台が残っている

新幹線新大阪駅番線の影響は、阪急十三方面の線路の上に覆いかぶさっているので、十三新大阪淡路 の短絡線としての工事は諦めたようだ

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とは言っても、完全撤去しないのは、地下鉄四つ橋線の延長なにわ筋線の建設など、十三新大阪駅の建設の余地はあるからか

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十三方面を見ると、左手に新幹線山陽方面を見つつ、阪急系のレンタカー会社等が入るなど、間は確保されている時を経て、一部テニスコートになったのを考えると、ここに阪急電車が走るのは夢なのかも

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