フォト
無料ブログはココログ

« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »

2014年7月29日 (火)

旧勝沼駅-1

つづき兼ラスト 画面右手が、現中央東線手前が現「勝沼ぶとう郷

Img_9016
廃ホーム知らない人が見ても分からないこの遺構っぷりがよい

Img_9017
反対側からちょうど、長野色が現駅に停車中

旧駅と現駅の見事なコラボ

これにて、大日影トンネルから続いた「勝沼ぶどう郷駅」シリーズは終わり

次のネタ探しに入ります

2014年7月27日 (日)

旧勝沼駅-0

ってことで、予告しておいた、勝沼ぶどう郷駅隣接の「旧勝沼駅跡」≒廃ホームが、現駅甲府寄りに残っている

Img_9013
整備された「大日影トンネル」を見た後で、この「遺構ぶり」を見るとたまらない

駅名表示は、リニューアルされたかもしれないが、隣駅(東京より)が、×甲斐大和初鹿野になっているのが良い

Img_9015
あと一回、この「勝沼ぶどう郷駅」をめぐる《遺構》風景がつづきます

2014年7月26日 (土)

大日影トンネル-2

つづきトンネルを抜けたところかなり整備されています

Img_9011
旧線レールは、モニュメント的な保存≒見せるため状態

Img_9012
それでも、旧線跡ウオーキングには欠かせないツールか

Img_9014

次回予告 大日影トンネルは、現勝沼ぶどう郷駅の東京よりにあるが旧「勝沼駅」ホーム跡が、現ぶどう郷駅の甲府寄りに残っているので次回アップ予定

2014年7月23日 (水)

大日影トンネル-1

つづきトンネル内部は特に怖くなく通り抜けるとまたトンネルが

Img_9006
この馬蹄型がたまらない

Img_9007
(おそらく)ワインの貯蔵庫として、利用されているようだ上田交通真田線でも、これに近い廃線跡利用方法が見られたでも、こちらは「奇麗」

Img_9009

廃線≒旧線跡としてはキレイすぎる面もあるがそれでも、整備されているのは、安心感がある

つづく

2014年7月20日 (日)

大日影トンネルー0

平成月頃、中央東線勝沼ブドウ郷駅東方に、開放されている、旧「大日影トンネル」を 左が現線右が旧トンネル+線路のオブジェが

Img_8999
上の撮影点付近から 現勝沼ぶどう郷駅方向へ右が現線

Img_9000

 朝の時過ぎなので、まだトンネル内は開放されていない時からだったかなImg_9001

って退屈していたら臨時あずさ系が現トンネルから出てきた

Img_9002

この前日に甲府市内に泊まって 当時の住居地首都圏に帰路する途中でした

2014年7月19日 (土)

津軽鉄道-1

シリーズ回目LASTです

Img_9041
「手書き」調の、駅名表示が、旅情をそそる

Img_9042
(誤解のないよう)「本州最北」の民鉄と呼称している

Img_9043
(おそらく)JR五能線五所川原駅隣接の、津軽鉄道津軽五所川原駅と思う

架線の無い、広々とした間を感じることができる

この時は、「旅路ゴタゴタ」で、五能線リゾート快速(全車指定席)に乗らざるを得ず、弘前駅へ⇒そして、弘前城で桜を見たような気がします

で、これで次のシリーズを検索検索

2014年7月16日 (水)

津軽鉄道-0

また「ネタ探し」をして平成月に訪れた五能線五所川原津軽中里の津軽鉄道ストーブ列車で有名だが、訪れた時は春なので

Img_9039
津軽中里駅舎この時は、新青森駅が上手く接続しなくて、旅程が大きく崩れてしまった

(北海道の、ふるさと銀河線池北線亡き後)確かに、最北の私鉄だ

Img_9040
Img_9037
終端部だったかな

走れメロス号だったような 結構新しいっぽいディーゼルカーだ

Img_9038

この時は、往路(津軽五所川原津軽中里)は、団体さんで一杯帰路は、アテンダントさんと、貸し切り状態だったことを覚えている

つづく

2014年7月14日 (月)

田浦駅付近の廃線跡-4(Last)

最終回です線路と線路の間の川には橋台跡が残っており、まぎれも無く、鉄道遺構であることを実感できる

Img_8907
この橋台の続きが

これ 線路が残っている地面に埋もれていない

Img_8908
この先は、田浦駅に向けて、埋もれた線路が続く

Img_8909
これら線路は、田浦駅の横須賀よりで流するが、今は線路は断ち切られています

以上で、本シリーズは終わり 次回はまたネタを探します

2014年7月13日 (日)

田浦駅付近の廃線跡-3

つづき草むした台地に廃線路跡

Img_8904
田浦駅へ戻る途中で「線路が消えゆく」トンネルを振りかえる

Img_8905
(見えにくいが)廃線路が、ダイヤモンドクロッシングで十字交差

規模は小さいが、名鉄築港線付近にも同様なものが残るもっと前は、阪急西宮北口駅を思い出す

Img_8906
もう一度草むした土地&廃線路の見事なコラボ

次回が最終回です

2014年7月12日 (土)

田浦駅付近の廃線跡-2

つづき線路が、前方のトンネルに向かって

Img_8896
消えて行く う なんか感慨無量

Img_8897
「現役時代」はどうだったのだろう 思いが馳せる

Img_8899

その「線路が消える地点」から、田浦駅方向を振り返った感じ

あんまり、通行量も少なく、廃線跡探索もじっくりできる つづく

2014年7月10日 (木)

田浦駅付近の廃線跡-1

つづき 一般道路から、廃線跡線路の遺構がも見られる

Img_8893
前方のトンネルに向かって、路面電車的な廃線路

Img_8894
Img_8896
この風景を見た時「ここに行きたい」って思った

線路がトンネルに埋もれて行く?って昔はどんなだったんだろうって幻想を抱いてしまう

Img_8897

もう少し続きます特に何が良いっていう廃線跡ではないが、異色であることには変わりは無い

2014年7月 8日 (火)

田浦駅付近の廃線跡-0

平成首都圏に住んだら行こうと決めていた、横須賀線逗子駅での連結開放E両が両を切り離した先の、横須賀の手前「田浦駅」

 小さい頃「両端をトンネルで挟まれているので、ドアカットあり」ってのを鮮明に覚えている

 目的は、横須賀駅方面へ向けて、かつての専用線が分岐し+廃線跡として残存している光景を見ること

Img_8889
 この路線は付近一帯港湾まで張り巡らされており、一部は米軍基地施設まで続いているらしい 画面左が田浦駅方向

 それら関係の輸送などに使われていたらしいが、昨今は使用されておらず、路線は撤去されないまま存置され+朽ち果ててしまった場所も多く、「フリーク」には耐えられない楽しみがある
Img_8891
路面電車っぽく、道路と一体化してしまっている

Img_8892

見えにくいが、まさに「アスファルト版」“自然に還った”線路状態

こういった風景を、田浦駅下車後すぐに見ることができます

つづく

2014年7月 6日 (日)

大社駅-2

最終回末期の大社駅の時刻表出雲市行きオンリーのローカル線だ

Img_8974

出雲市駅からの接続もキチンと載ってある

Img_8977

(再掲かも) 構内踏切+SL など、この先にレールがつながっていた時代を思い出さざるを得ない

 で、このシリーズは終わり またネタを捜します

2014年7月 5日 (土)

大社駅-1

つづき線路跡は、まさしく「廃線・遺構・廃墟」っぽく、残っている=残してくれているこちらは、車両止め方向

Img_8972
こちらは、出雲市駅方向はるか先は、大阪名古屋東京方向へレールがつながっていた

Img_8973
建屋内には、運賃表が残っている

Img_8975

山陰線は当然としても、東海道線や四国方面が載っているのが凄い 次回が最終回です

2014年7月 3日 (木)

大社駅-0

平成前回の四国から、一気に山陰地方へ平成年以来年ぶりの、旧国鉄大社線大社駅跡地へ

Img_8978
一畑電車出雲大社駅よりかは、出雲大社本体より遠いが、今でも列車が走ってきそうな雰囲気の建屋だ

Img_8976
構内は、自由に立ち入れる 線路は草むしているが 往時のたたずまいを色濃く残している

Img_8977
名古屋&金沢発小浜線経由、急行「大社」(大社線内普通列車)があったことを覚えている

奥にSLが静態保存 つづく

2014年7月 1日 (火)

海部駅-1

海部駅高架下には、「阿佐海岸鉄道開通記念碑」が建っていた

Img_8970
下から見上げる限りは 鉄建公団的立派な高架橋

Img_8971


ローカル線とは思えない

 で、この後どういうルートをたどったかと日記をひも解くと

→牟岐線 日和佐泊  翌日→うずしお→岡山→さくら→広島:広電新電停+ アストラムライン往復→山陽線を西進→岩徳線キハ→こだま新山口→スーパーおき→出雲市で大社線大社駅跡をチェック!!していました

全く記憶になかったが、これで徳島県内鉄道全制覇

ってことで、次回は「大社線大社駅跡」を

« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »