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2014年2月28日 (金)

飾磨港線廃線跡-1

つづき

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遊歩道には

旧「亀山駅」跡の駅標識を模したものが、飾られている これによると、姫路亀山飾磨駅(+飾磨港)だったようだ

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遊歩道は、地元民に利用されているようだ

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遊歩道は、山陽電鉄沿いにあるので、山陽電車が行き交う姿を見ることができる

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尼崎港線(福知山支線)と違って、あまり思い出は無いが尼港線と違い、遺構はしっかりと残されているようだ

2014年2月26日 (水)

飾磨港線廃線跡ー0

姫路市内の廃線遺構つづき 姫路駅から現播但線の支線的飾磨港まで延びていた廃線跡を 福知山線の尼崎港支線(廃線)+和田岬線(現役)のように、小さい頃の時刻表を見た記憶があるが、朝夕だけの運転だったような

下の写真は、手前から、奥への遊歩道を現役時代は踏切であったであろう箇所を車道が横切っている

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場所的には、山陽電鉄手柄駅近くで、山陽電鉄線に沿っている+遊歩道化されているので、探索しやすい

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モノレールと同じく、平成月の写真なので忘れたが、これも遊歩道を旧踏切部分について車道が横切っているのを、別カットで

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遊歩道は、山陽電鉄の線路沿いに、鉄道的一直線に延びて行く

つづく







2014年2月25日 (火)

姫路モノレール廃墟跡-2

続き≒最終回断片的ですが「撤去工事」とはいえ、“姫路モノレール”って記載が嬉しい

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もう度、市街地方向を、大きく見下ろした状況 画面右側にモノレールの廃桁が

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一方、手柄山駅跡を、「引いて」見てみました駅舎以外は、特に跡は分かりません

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もう度、市内の、モノレール廃桁を、じっくりと 地域の人は、この「遺構」を見て、何を思う

今度行く時は、手柄山駅跡地のセンター内を見てみたい

このシリーズはこれで次は国鉄飾磨港線(播但線支線)廃線跡地を



2014年2月23日 (日)

姫路市モノレール廃墟跡-1

つづき 終点手柄山駅の駅舎

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草で覆われた部分を

下へ回って見上げる この中に廃車両が眠っている

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それが見えないだけにまさに「廃墟感」あり

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平成月なので、何を写したのかよく覚えていないがなんでもこれからして、この建屋は整備され、中を見学できる(廃車両も)ようになったらしい おそらく、今見たら私基準で「整備されすぎ」状態かもしれない

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あらためて、手柄山駅から新幹線の高架線路手前に、廃軌道桁が手前に向かって延びているのが見える

なんでも、姫路モノレールは市営で、ロッキード式廃止になった、小田急向が丘遊園モノレールと同じ、桁上のレール本に乗っかかって、走っていたようだ

つづく

2014年2月22日 (土)

姫路モノレール廃墟跡-0

 最新ネタ切れなので廃線跡シリーズを続けます

またもや平成月に遡ります

兵庫県姫路市内の、姫路駅手柄山遊園を結んでいた私が物心ついた時は「廃止になった」と母から聞いた姫路モノレールの桁の残骸を

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新幹線やJR在来線から何度も見てきたが じっくり手柄山方向へ足跡を辿ったのは初 姫路駅からの路線バスは数あれど意外とこの地点まで行くが少ないのでしっかり調べてから

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時が止まったかのような、橋脚の残骸が、過去を語る

まさに「所在無げ」 今を生きる人は、これを見て何を思うか

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名古屋市内の南方貨物線未成線跡とは、一味違った、「プチ万里の長城」かあなんでも、撤去するのに金がかかるらしいなんでも、少し昔年以上前だったか、この残骸から、落下物が落ちて問題になったような

次回は今は公開されている手柄山遊園駅跡が、「開放される前」の建屋を

2014年2月21日 (金)

蒲原鉄道廃線跡-3

最終回磐越西線五泉駅 左は、JR磐越西線右のカーブ路盤が蒲原鉄道村松方面廃線跡

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逆方向 見えているディーゼルカーは、磐越西線新津方面行き左は、蒲原鉄道の終端部の廃路盤ここで、線路をつなげて、JRの気動車が直通すれば良かったかも

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以上で、蒲原鉄道シリーズは終わり どこに行ったか不明だが、JR信越線の加茂駅跡とJRを跨ぐ橋脚と、手前の陣が峰駅跡は、ものの見事に朽ち果てて残っていたのを思い出す

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おまけ新津鉄道資料館の入り口部分ですまた行ってみたい


2014年2月20日 (木)

蒲原鉄道廃線跡-2

つづき村松駅を後にして、今泉駅に向け、廃路盤を写す

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磐越西線五泉駅に到着蒲原鉄道現役時代の線路跡が地図に残っていた

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鉄道の代替は「蒲原鉄道バス」に変わったようだ

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駅舎跡右奥に、蒲原鉄道五泉駅への跨線橋跡が古めかしく残っている

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新潟県は、栃尾鉄道越後交通新潟交通蒲原鉄道みたいに、私鉄系を冷遇してきたように思う

 市街地に渋滞対策に、ぜひとも、軌道系交通機関を復活して欲しい

2014年2月19日 (水)

蒲原鉄道廃線跡-1

つづき村松駅を、(最初に廃止になった)信越線加茂駅方向への廃線跡(付近)から見る左に、旧村松駅舎が見える 正面の建物の右端の位置から、写真撮影の位置付近へ、カーブを描いて線路があったものと思われる

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そして、振りかえって、加茂方向へこちらは、廃線跡が歩道化され、きれいなカーブを描いている

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そして戻って、旧村松駅の構内へ今は、線路は撤去され、関係会社バスの回転場になっている

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五泉方向へ戻って、再度村松方向を見る 左の草むらが廃路盤だ

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晩年の蒲原鉄道は、村松五泉が電車接続の磐越西線は非電化新津から新潟は電化されていたから、磐越西線の一部区間を電化するか磐越西線の新型(当時)軽快気動車(キハ)を蒲原鉄道に乗り入れさせておけば、生き残ったかもしれない

 ついでに、ほぼ同時期に廃止になった、新潟交通電車線を新潟駅前に延長しておけば、現在中規模都市になった、新潟市内の「軌道系交通機関」網が出来上がっていたかも 北陸県のように、JR以外の私鉄の活躍の場を与えて欲しかった気がする

2014年2月18日 (火)

蒲原鉄道廃線跡-0

平成年の秋は新潟県の廃線跡巡りばっかりだった

今回は平成年の廃止直後に巡って年ぶりに、(最後は)JR磐越西線五泉駅村松駅が残った、蒲原鉄道廃線跡へ

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旧 村松駅舎は健在

五泉寄りの部分はバスターミナルで整備されているが、古き良き時代は残っている

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古めかしい「村松駅」の表示が健在なのが嬉しい

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新潟駅行きの高速バス停は今でも「村松駅前」

蒲原鉄道は、五泉村松と、短い区間が細々と営業していたため生き伸びたが新潟市街地に行くには、五泉で磐越西線に場合によっては新津で新潟駅に行っても、市街地に行くには更にバスに乗り換えないといけないのが致命傷だった

 地方ローカル私鉄は、切り詰めるだけ切り詰めてもなんとか生き伸びるだけで活況を呈さないと、安泰とはいかないようだ



2014年2月17日 (月)

国鉄赤谷線廃線跡-4

続き最終回サイクリングロードの終わり部分から続く、廃路盤東赤谷駅への跡か もう夕方だったしこれ以上進むのは止めました

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逆側サイクリングロード終点を、廃路盤上から見る こういった廃路盤がとても好きだ

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戻りの途中のサイクリングロードで、「赤谷線」の表示があった

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これは、新津鉄道資料館(旧新津市現新潟市秋葉区)にあった、赤谷駅と終点の東赤谷駅の駅名表示これは本物だと思われる

なんか覚えていない「廃線跡シリーズ」でしたが、赤谷線は、これにて終わり

2014年2月16日 (日)

国鉄赤谷線廃線跡-3

つづきサイクリングロードとして、結構「整備された」状態です

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ここが終点で奥には

このようにサイクリングロードは終わり廃路盤が続くこういう状態のほうが、「廃線跡フリーク」としては、ドキドキする

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ここは旧赤谷駅跡地だったような?

なお、赤谷線の終点は東赤谷駅でしたので、上の写真をさらに行けば、本当の終点まで辿りつけたのかもしれない

2014年2月15日 (土)

国鉄赤谷線跡-2

つづきです廃路盤は続くよどこまでもって感じ

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一直線国鉄型気動車列車が走ってきそう

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って思ったら米倉駅跡の駅名表示の遺構あり再建したものっぽい

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車道と並行して、一路東赤谷駅へ向けて、サイクリングロードとして路盤が残っていますつづく

2014年2月14日 (金)

国鉄赤谷線廃線跡-1

つづき平成月末の午後の昼下がり

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詳しいことは忘れたがここは、廃線跡っぽい流れができている

ここも、廃線跡&近代の建物のコラボ

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で、ここも、奇麗すぎるけど廃線跡っぽい

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で、なにがしかの「駅の跡再建」ってこんな感じで、わけわかりませんけど赤谷線廃線跡をたどります

2014年2月12日 (水)

国鉄赤谷線廃線跡-0

また、古い写真から平成月に巡った新潟県新発田駅~国鉄赤谷線跡を

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白新+羽越線新発田駅から、鉄道的カーブを描いて駅跡らしいところを通る

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鉄道的カーブは続く

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このへんは、「きれいに整備」されすぎている

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この頃は車を買ったこともあってか廃線跡をひたすら巡っていた

その時は、CDに焼いて残しておこうと思っていたが、それも面倒になってそのまま放置いざ ブログにアップする段になって、「これなんだったっけ」状態になっています

2014年2月11日 (火)

「極楽橋」アップ

「最終回」南海高野線極楽橋駅から、極楽橋 本体特急こうや ズームカー

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これが、その名も「極楽橋」の アップです

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この時、橋のそばまで行ったけど、「そこに何があったか」は覚えていません

ただひたすら、「和歌山県内鉄路」全制覇のため必死でした

またいずれ、高野山ケーブルで、上まで登ってみたい

2014年2月10日 (月)

極楽橋駅-2

過去の当BLOGを再チェックしたら高野線ネタは皆無だったので、続けます奥に「極楽橋」右に 特急「こうや」ズームカー

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上の写真は下のケーブルカー乗り場から撮ったもの

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極楽橋駅下車者は、ALL高野山ケーブル乗車のはず

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普通(急行・快急)列車用この時は、年末の帰省時に、大阪から、大和路快速⇒王寺⇒和歌山線⇒橋本⇒普通で、当駅に来たはず

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帰路は、一気に「ズームカーこうや」で、なんばへ

子供の頃、こうやズームカー はもっと「デカ目」で、愛嬌のあるマスクだったような時代を経て、ラピート同様、メカニックになったものだ



2014年2月 9日 (日)

極楽橋駅

ネタ切れです過去にアップしたことがあるかもしれませんが、デジカメに残っている写真から 南海高野線の“電車の”終点極楽橋駅平成年の年末です

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実際の乗客は、ケーブルカーで高野山へ行くので、極楽橋駅本体は「境駅」と言われる上は、最近の南海電鉄モデルだが、下は、“古い感じ”で良い

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(全員が、ケーブルカーに向かう中)敢えて改札から出て、駅舎を振り返ってみた

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右が高野線線路で、奥の赤い橋が本当の「極楽橋」だそうです

2014年2月 8日 (土)

E7系!試乗会を「特等席?」から

北陸新幹線JR東日本E 試乗会の抽選には枠(ノーマル&Jwest&えきねっと&モバイルスイカ)でチャレンジするも失敗

スルーしても良かったが、のため動けず かといって「見に行く」のも「醜い」から躊躇していたが、「一計を案じ」た まず在来線車内orホームからを考えたが番線なので、見れずでも、ホームへ入場券で入ろうもんなら「おぞましさ」の仲間入り

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改札の表示は「団体号・全車指定 大宮行き」でした

で、東口側から、「遠目」で、“なんとなくの雰囲気”を

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で、ちょっと戻った跨線の歩道橋の上は、これまた、やっぱ《先読み》した「鉄」達が、やや多めに居たからその途中の、階段ならだったので、これまた、“なんとなくの雰囲気”を奥には、国鉄型系との見事なコラボ

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試乗会は金曜から、また試運転はその前から始まっているので、E系の写真をアップしている人数あれどこういう「特等席?」から見えにくい写真をアップするのは私くらい??

っでも、新車両の雰囲気はたっぷり味わいました

2014年2月 7日 (金)

リニア鉄道館を後に

あおなみ線金城埠頭駅これより南に線路が延びることは無いだろうって意味では、九州新幹線の鹿児島中央駅同じか

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「計画中の計画」ではここから地下に潜って中部国際空港への連絡線にする可能性もあったとか無かったとか

中部国際空港への連絡線といえば、この「名古屋市内の万里の長城」こと南方貨物線未成線跡その『残骸』が沿線に残っているのが見える

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年くらい前に、旧友とJR笠寺駅から丹念にたどったことを思い出す

この南方貨物線ルートを考えれば考えるほど、いまいち“意義”が見いだせないが、今残る遺構は、この高架橋とJR大高駅付近の路盤跡くらいだ

2014年2月 6日 (木)

新幹線の行き先表示幕

こちらなじみ深い系新幹線の幕学生時代頃まで、これを見ていた気がする本だけの「ひかり 西明石(後に姫路)」の表示を、“幕回し”中に見付けて、ほほ笑んだものだ

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こちらは、系から系の頃まで見ていたようなLED表示全盛の今、「幕回し」など、無くなったが当時の「オレンジ のぞみ」表示が懐かし∧新鮮だった

 これで、リニア鉄道館は終わり 回目なので、あまり写真を撮りませんでした

2014年2月 5日 (水)

新幹線の食堂車

引き続き、リニア鉄道館にて

新幹線系グランドひかり階建ての食堂車末期まで残った食堂車だが、残念ながら、現役時代の車両で、食べたことは無い

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こちら、後期の新幹線食堂車この窓は、通路側≒富士山側にあって、初期のタイプは、窓が無かっただから、食堂車での「食事をしながら富士山を見たい」という要望は、叶わなかった

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そこで、通路に窓を設置し

食事をしながら、富士山を見られるようになったわけ

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このタイプの食堂車は、何度も利用した 就職年目グループで交代で自由席の座席を確保しつつ食事をしたこと+小さい頃、母に連れられて食事をしたことを思い出す

時には、席で、従業員さんが、忙しく、動く車内で働いていた印象が強い≒労働環境悪が、食堂車衰退になったのかもしれない

2014年2月 4日 (火)

リニア鉄道館つづき

ホールの全景 画面左~切れているところに次いで旧しなの右端は、関西の「急行電車」でお馴染みの流電だが、なぜJR東海の博物館にあるのかというと、晩年は飯田線で走っていた≒旧佐久間レールパークにあったから

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関西では、「はまかぜ」や「まつかぜ」でお馴染みのキハ

 東海圏では「ひだ」で活躍最盛期は名古屋高山線経由金沢まで走っていた小学生の頃、高山線の普通列車ですれ違った時は、絵入りマークなどはなく、単に「ひだ」の文字だけでした

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 以前来た時は「ヘッドマーク」がなかった系は「伊那路」のヘッドマーク付き右は正真正銘「サログリーン車系の、「湘南色」化とは違う

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(しなの鉄道)系亡き後、直流の急行型車両が見られるとホっとする ぜひこの車内を公開して欲しい

2014年2月 3日 (月)

700系の運転席

リニア鉄道館で左側の系新幹線実物の運転席の見学ができた

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家族連れが多い中人で、順番を並ぶ様は滑稽だったが次の順番が高齢の人たちだったことを思えば、これまた趣味の一環だ

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やや狭いがこんな感じ

模型では無く、実物そのまま+汚れ感が、結構「良い感じ」

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全体はこんな感じわずか分ほどだったがおそらく新幹線の運転席を見たのは、子供の頃の大阪の交通科学館(現交通科学博物館)の“模型”以来実物初めてだから、とても良い経験しかも公開日目だったから、グッドだったかも

2014年2月 2日 (日)

あおなみ線

と、リニア鉄道館名古屋市に行くべく名古屋駅から臨海高速鉄道「あおなみ線」へ奇麗に写っていないが、名古屋らしい、短編成ドア~ロングシート車だ

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東京の、日暮里舎人ライナーみたいに「鉄道白地帯」を埋めている 感じ

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貨物列車も途中まで走るので

日中は、きれいな分間隔+複線だ

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あおなみ線に乗るのは回目リニア鉄道館は回目だが、次回につづきます

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