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2013年9月30日 (月)

予土線の旅~3(END)

平日の午前午後にかけて予土線全線時間分の旅を終えたキハ トイレの心配はあったが 過ぎてみると四万十川沿いの良い風景を見た

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土讃線 窪川駅到着

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正確には、一つ手前の若井駅から、土佐くろしお鉄道中村・宿毛線に入っている

 土佐くろしお鉄道東側の“阿佐線”ごめんなはり線は、制覇したが、中村・宿毛線が、四国地区で未踏の路線となったまたいつか再チャレンジ

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ここからは、南風って、JR四国はキハって付けず私鉄のような車両形式だが一気に瀬戸大橋渡って岡山へ

これにて予土線シリーズは次回はちょっと戻って松山~宇和島までを




2013年9月29日 (日)

予土線の旅ー2

JR四国予土線は、全線所要時間以上全線通し、.往復で、行き違い待ちの長時間停車も無いが、トイレも無い キハ系(予讃線非電化区間も)

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(それを見越してかどうか分からないが)土佐“大正”(隣接の土佐“昭和”よりは駅の規模大きい)で、分ほど止まってくれたので、ホっと安心

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四万十町というのも存在するようだ(四万十市も隣接

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トイレが駅舎外にあったので、このような“場違いの”立派な駅舎を撮影できた

行き違いは、宇和島側、伊予宮野下駅と中村方面はループ線で分岐≒土佐くろしお鉄道との分岐点川奥信号場回ありました

2013年9月28日 (土)

予土線の旅

夏季休暇の旅路は、広島フェリーで松山入りこの間は後日アップ宇和島を経て、予土線で高知県入りして、「愛媛県内鉄路全制覇」達成 子供の頃から、なぜか記憶していた「江川崎」駅予土線の中心駅

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今年、「日本一暑かった」ところだ

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予土線は、“清流”四万十川沿い

右に左に蛇行する四万十川を見ながら、進む

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さすが、“清流”見ているだけで気持ちいい

2013年9月23日 (月)

横川SA

上信越道横川SA上り線

キハ 急行志賀 を模した 車両っぽいものが置いてある年前

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志賀号は、長野電鉄線に屋代から乗り入れ(屋代線は既に廃線)、急行信州都併結系だったと思う

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それから年後の今日キハは変わらないが上信越道周年の“ヘッドマーク”が付いてあった
中では、ボックスシートもあり峠の釜めしを食している人もたくさん居た

2013年9月22日 (日)

関西線亀山⇒名古屋

亀山名古屋は、快速がある亀山四日市は各駅停車で、名古屋四日市は快速みえ号と並んで、快速系を毎時本とし、かろうじて近鉄に対抗しようとしている

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車両は、両編成で、ワンマン運転

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系のドアあるいはドア、転換クロスシートかと思ったが、名古屋圏は思った以上に、系がはびこっている

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名古屋到着

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隣の中央線ホームには、“お役御免”の旧セントラルライナー型車両が、在来列車として活躍していた

2013年9月21日 (土)

加茂駅⇒柘植駅

大和路線は加茂駅まで電化区間 系もここで折り返し行き先は「大阪環状線」表示

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ここから、亀山までは非電化区間キハ

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そしてもう一つの接続駅足る柘植駅で、草津線からの接続を受ける

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草津線系は、単色化草津線らしく緑色一色

2013年9月20日 (金)

大和路線道中

またJR西日本に話題をチェンジ 天王寺駅にて日中大和路快速でも、区間快速でも無い「快速」JR難波発着系が走る

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王寺駅にて休む系、ブルー塗装

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子供の頃、関西で、「東京の山手線が見られる」と喜んだ、グリーン色の系大和路線各停用前面に白色ラインがあるのが、特徴

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大和路線は加茂京都府内まで電化区間大阪から直通あり

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ここから東は、加太越えの非電化区間だつづく

2013年9月19日 (木)

豊洲駅

東京メトロ有楽町線豊洲駅は、線仕様だが、内側線路は路盤のみ⇒使う予定無くなり、仮の通路作成状態から、線路が敷かれた

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有楽町線半蔵門線ひいては松戸方面への延長線計画が、東京オリンピック開催決定を受け、具体化しつつあるのかな

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有楽町線は、(副都心線と共通が多いので)全駅ホームドアがあるかと思ったら、豊洲駅は未だ設置中だった

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おまけ ららぽーと豊洲のはね橋 最近できたっぽいが、珍しいものだ

2013年9月18日 (水)

黒姫駅足止め

台風の日妙高高原で足止め時間をくらって、折り返し電車で、駅戻った黒姫駅で、やっぱり時間足止めJR東日本仕様の駅名標

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こちら、観光仕様の駅名標

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やっぱり、国鉄時代を思わせる行き先表示が上野は無いが高崎があるでも、もはや線路はつながっていない でも、「大阪」ってのも凄い昔、臨時列車ってあったっけ

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ちなみに、妙高高原駅は、直江津に向かって西側に黒姫駅は逆に、東側に、駅本屋≒番線があることが分かった

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往路は、両編成だったが、足止めくらって&妙高高原駅から戻る観光客もわさって、混雑が心配だったが、両編成だったので、良かった

台風で足止めはあったが、一応、ボックスシート独占旅だったので、良しとしよう

2013年9月16日 (月)

妙高高原足止め

台風の中分かっているのにプチ遠出信越線始発駅は時刻通りだったが、妙高高原駅で足止め

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系も所在無げに停滞中

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待っている間に、懐かしい表示を激写  上野への直通は無くなった名古屋への直通は、かつての“架線下”DC急行「赤倉」名古屋新潟のことか

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時間待って、直江津方面は代行バスを手配 私はUターンで、カムバックしました



2013年9月15日 (日)

あさま が あさまを抜くээ

 大昔?ひかりがひかりを追い抜くことが話題になったが≒今や、ひかりがのぞみに抜かれるのが当たり前になったものの、上越新幹線でも、追い抜き≒同格退避は無くなった感があるが、長野新幹線では、臨時列車運転日に、同格退避が見られる

 一つは、東京早朝発のあさま分発が、先発臨時分発の号を、上野で追い抜くもう一つは、あさま長野分発が、先発分発の号を、軽井沢で追い抜くそのシーン

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E系あさまが、E系あさまの追い抜きをじっと待っている

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肝心の浅間山は、雲に隠れて見えませんでした

2013年9月13日 (金)

環状線西方雑感

大阪環状線の西側特に、弁天町以南は、古き良き遺構が残る

大正駅を過ぎて、ゴツイ鉄橋を渡る

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アンダークロスする、南海汐見橋線は、複線ながら、廃線跡のようだまさに都会のローカル線

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方やこちらも、何年も前に、廃止された、南海天王寺支線の廃線路

天王寺という都会に、忘れ去られたような廃線路盤が残るとは奇跡と言える

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2013年9月12日 (木)

浪速貨物線跡

大阪環状線、内回り西九条を過ぎると貨物線の廃路盤が合流する

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環状線が、大阪京橋鶴橋天王寺の城東線大阪西九条桜島の西成線で、環状化されていなかった頃の名残ではないが、環状化前の、天王寺大正以西の貨物線だったつい最近まで、線路が敷いてあったが、ガータ橋と線路は撤去 路盤と橋台のみ残っている

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大和路快速は、大正駅に停車 快速の停車駅が増えるのはイヤだが、この駅は今まで通過していたのが不思議だから、停車するのも仕方ないImg_0469
昭和駅は鶴見線、平成駅は熊本県、大正駅は大阪府ズバリ明治駅は無い

しいて言えば、東京メトロの“明治”神宮前か

2013年9月11日 (水)

201と221

系は撤退したが、首都圏中央線でとうの昔に撤退した、オレンジの系は、大阪環状線には健在

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JR神戸京都線普通用ブルーのを転属させたものだが

大阪環状線は、人気路線だから、多少古くても乗る人は乗ってくれるのかも

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こちら、JR神戸京都線新快速では、がはびこっているいる中、大和路快速には、“鳴り物入り的”衝撃だったが健在

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当初は、両編成が主だったが、これまたJR神戸京都線快速用両固定編成が転属したようだ

2013年9月10日 (火)

大阪環状線

大阪駅大阪環状線内回りの案内板

関空紀州路快速⇒ゆめ咲線直通⇒大和路快速⇒環状線普通 のサイクルが一覧に表されている 

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今度は外回り すべて各駅停車だが、ドアクロスシートドアロングシートと区別するためか、以前は「普通」に表示を切り替えていた、快速系だが、そのまま「路快速」の表示を続け、天王寺or京橋まで走ることとなった

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ゆめ咲線直通も減ったが、環状線西側の各駅停車が減ったので、快速系は福島、大正と続けて停車駅が増え、もはや快速と言うより、駅(野田、芦原橋、今宮)のみ通過する普通一応西側は快速運転していますよ的なものに過ぎない

大正も福島も乗客は多いとはいえ、ここは、大和路快速関空紀州路快速で、大正福島とそれぞれ選択停車をして、通過駅は駅にとどめて欲しかった

しかし、それはそれで関西人は「分かりにくい」って不を持つから、結局収まるところに収まったってか

2013年9月 9日 (月)

225と223

もはやJR神戸&京都線は、は、もう昔が主流内側線快速にもが投入されているのも珍しくなくなった

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(手前)(奥)は連結可能 連結部分は、墜落防止にライトを点灯している

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乗った、新快速は、右は、阪急電車普通見慣れた光景も、阪神大震災で、車両・背景等も変わった

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2013年9月 8日 (日)

ポートライナー

ポートピアの開幕を前に月に開通した、当時としては画期的だった新交通システムポートライナー当時は、「の字」運転だったが、神戸空港ができて、空港への足として、往復運転系統もできた

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駅通過で、秒早い、快速運転開始もパフォーマンスとはいえこれまた画期的だ

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従来の「の字運転」系統は、「ポートアイランド方面行き」【北埠頭行き】を名乗るようになった

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旧神戸新聞ビル跡地の建物から見た、ポートアイランド方面左下に、貿易センター駅&車両(とはいっても、ずいぶん経つが)が走っているImg_0450
大震災後、神戸市内の風景は大きく変われど、中央の貿易センタービルだけは、子供の頃から変わっていない

2013年9月 7日 (土)

S.Rapid

関西圏夕ラッシュ時のパターン 快速を新快速が追いかけ、新快速は三宮の手前で普通を追い抜き、新快速普通とは三宮で緩急接続はしない

新快速は、神戸で先行の快速と接続を取るが、この時間帯は夕ラッシュ時の遅い時間帯なので、神戸明石で、新快速は快速を通過追い越しする

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ところで、新快速(関西圏)の英訳は、一時期「Rapid」だったが、ある時期から「S.Rapid」に変わった

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要は、「SPECIAL Rapid」≒特別快速なわけだ 「特別快速」(首都圏)の名を真似るのを嫌がって、付けた「新快速」だが、やはり“国際化”の波には勝てず、英訳上は「特別快速」としなければいけなかったわけだ

2013年9月 5日 (木)

館林駅

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東武鉄道伊勢崎線館林駅

上下線以外に、小泉線佐野線と方向への路線が交わるジャンクション駅だ

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特急「りょうもう」号が行き違い

りょうもう号は、長く、東武日光線特急けごん&きぬ と比して、「急行」格だった

東武は、スカイツリーライン区間も本籍は伊勢崎線であるにもかかわらず、東武動物公園から分岐する日光線の方が格上扱いだったからだ

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それが晴れて、東急から「急行」が乗り入れてくるのにわせ、晴れて特急バブルともいえる、特急化がなされた

だから、東武の歴史から見て、特急りょうもうは 比較的歴史は浅い



2013年9月 3日 (火)

東武鉄道の停車駅案内

東武鉄道は、路線が長大+多種多彩だから、停車駅案内表示も見ていて飽きない

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上位の優等列車が停まる駅を、下位の優等列車が通過するという「千鳥停車」は、無いが区間急行(区間準急)が各駅停車となる区間を、急行(準急)が通過(都心部)逆に急行(準急)が各駅停車となる区間を、区間急行(区間準急)が通過するという一昔前は、“抜きつ抜かれつ”が見られたものだ

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日光線は、南栗橋まで、東急+半蔵門線が乗り入れるが、以遠は、種別が激減+快速(区間快速)が通過運転し急行が各駅停車になるという、快速が急行より上位種別となっている

2013年9月 2日 (月)

軽井沢駅

昨日の続き草軽電鉄軽井沢駅跡地から北へ真っすぐ伸びる道があるが、廃線跡とは分からないこの見えている画面の「どこかから」草津温泉への線路が延びていたのであろう

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新幹線軽井沢駅ホーム今は両編成のみで、柵が仕切られているが北陸新幹線が全通したら、この柵が取っ払われ両編成のW(E)系が走るのだろう

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左に、しなの鉄道の横川方面廃線路盤右側に、現両編成あさま到着

新旧対比の典型的な感じ

2013年9月 1日 (日)

草輕電鉄

軽井沢駅に、大昔 草津温泉まで延びていた草軽(軽井沢草津)電鉄の電気機関車が保存してある

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これがそれ昨日アップした、旧軽井沢駅舎の目の前にある

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レールはモニュメント的だが、このような特殊狭軌の路線だった今でも、旧軽井沢地区に走っていたら、きっとこの避暑地の街に、映えていたに違いない

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現在、草軽電鉄軽井沢駅跡は、後継の「草軽交通バス」の車庫になっている

この草軽電鉄の遺構は、草津温泉までに至る所に残っている

何度か、辿ったことがあるが、特集したいくらい

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