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2013年4月30日 (火)

東北の旅路ー2

日は、盛岡駅からスタート東北地方に相応しくなく立派な駅舎になったものだ新幹線の開通の効果か

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これも新幹線開通の効果か IGRいわて銀河鉄道の乗り場 昔JR花輪線に乗った時切符シーズン 好摩盛岡の 別運賃を払うため、この窓口に大量の「鉄」が殺到したものだ

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IGRの車両

相互乗り入れの 青い森鉄道の車両 いずれも、スペックは、JR系っぽい

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この青い森鉄道の車両に乗って、二戸まで、各駅停車で時間の旅新幹線開通の、並行在来線セク鉄道にありがちな「トイレ撤去」は無く、トイレ付きなのは安心

 二戸バス旅は、つづく

2013年4月29日 (月)

東北への旅路ー1

都府県鉄路制覇の青森県に向けて、まずは岩手県盛岡市系のグランクラス

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いつもなのに珍しくのグランクラス

アテンダントのお姉さんもいつにもまして丁寧な接遇
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和軽食&を嗜みました

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そして珍しくワインを 白も赤も 飲みました

で、盛岡市内のホテルで熟睡

翌朝≒今日の旅路へつづく

2013年4月26日 (金)

都電のある風景-2

つづき都電王子駅前電停今となっては「旧車」タイプに入る台がすれ違う

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都電の併用軌道と言えば、王子駅前飛鳥山が著名だが

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大塚駅前北方大塚駅前南方言わずと知れた併用軌道区間と言える

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大塚駅前電停早稲田寄りには、折り返し用スプリングポイントがある

2013年4月25日 (木)

都電のある風景ー1

都電は、何度乗っても楽しい

飛鳥山の急坂部分物心ついた時の新車だが、今やもう古い部類だ

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これは、路面電車の域を脱する類の新車だ

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こちらは、レトロタイプ

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東池袋丁目にて右へ行くと池袋 ここから新線の計画があるので、早く実現して欲しい

2013年4月24日 (水)

西国分寺駅未成構築物

中央線西国分寺駅上りホーム現在の相対式ホームが、線にできるよう用地が確保されている

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上りホームから、高尾方を見る、線路が南に一度振っており、線化が可能だ

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東京行き快速の最後尾から見る 下り上りホームとも複々線化の暁には線となりえる

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隣の国分寺駅(特別快速停車)が、既に線退避駅化されているが、複々線化された(おそらく私が生きている間はされないだろうが)ら、特別快速も停車させるのだろうか

同様な構造?が、総武線西船橋駅だ 快速停車ホーム設置の間が確保されているが武蔵野線幹線との交点は、優等列車通過駅が多い新松戸&南浦和駅しかり

 いずれにせよ、中央線の三鷹以西の高架化となりスピードアップされ、見違えった感が無くは無い

2013年4月23日 (火)

西国分寺駅にて

中央線西国分寺駅にて、線工事化未成跡を見ようとしたら、うまい具

下り線を E系「かいじ」号が通過    

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そして上り線を E系 スーパーあずさも通過した

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中央線区間は、長距離特急短距離通勤電車が混在し、少しの遅れが中央東線中央西線に波及する

 「本題」は、つづく

2013年4月22日 (月)

メトロ東西線

か月ぶりのメトロ東西線かつてのタイプも東西線では古株になりつつある

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自称ドラえもん快速東葉勝田台行き

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東西線快速は、都心千葉県を高速で結ぶため、快速は江東区東陽町浦安間を通過し、江戸川区葛西で各停を追い抜く

千葉県内浦安市内は浦安駅に集約市川市は、南行徳行徳妙典の駅なので、見掛け上は浦安駅の乗降が多いが、実際は都心上記市川市内駅の流動も多い

そのため、葛西で各停を追い抜いた快速から浦安で各停に乗り換える人で、浦安駅は結構一杯になる

 よって、(元々区間快速的な)東西線快速も、都心浦安以東各駅停車の“純然たる”区間快速があっても、面白いかもしれない

2013年4月21日 (日)

埼京線E233

埼京線各駅に、Eの、お披露目が、されている

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「絵レベル」では見てきたが、実際に「製造されている」ようだ

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中央線京浜東北線東海道線宇都宮高崎線京葉線に、横浜線が加わりと、JR東日本はオールE系に集約しつつある

 武蔵野線&南武線の系が懐かしく感じるし、湘南新宿ライン中央・総武線各駅停車常磐線快速のE系すらも、古くなりつつあることを感ずる

一応、乗車定員%アップっていう、ふれこみもあるらしい

2013年4月20日 (土)

布引電気鉄道廃線跡のおまけ

布引電気鉄道廃線跡を探索し、小諸駅まで来たおまけ発見

JR小海線&しなの鉄道小諸駅の近くだがこれは、旧信越線の旧線跡トンネルだ高架化前の地上線時代のものかと思われる

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信号で対面通行になっている

馬蹄型のトンネルが、いかにも鉄道っぽい

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枚は、生活道路と化していて、面影は“馬蹄トンネル”だけだが、ここはその延長線あぜ道が旧線跡路盤を示している

2013年4月19日 (金)

布引電気鉄道廃線跡ー4

つづき

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廃線跡は、生活道路になって

奇麗なカーブを描いて小諸駅へ向かっていく

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車を運転していると、電車を運転しているようになる廃線跡だ

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ふと見上げると 浅間山などが奇麗に見える

2013年4月18日 (木)

布引電気鉄道廃線跡-3

つづき (昨日の千曲川の廃橋脚の)反対側へ回ってみた

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延長線上の廃線跡草むしている

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小諸側へ、生活道路となっている

同じく、廃線跡の直線が続く

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しばらくすると道路が舗装されて、奇麗なカーブを描いている

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昨日の、朽ち果てた廃橋脚と比べて随分整備されているが廃線跡感がたんまりある つづく

2013年4月17日 (水)

布引電気鉄道廃線跡ー2

つづき 千曲川を渡って島川原駅方向の橋台跡が見える

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アップで見る道路沿いで狭い道だが交通量が少ないので、撮影には困らない

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破壊されたかのような、橋脚跡が所在無げにたたずんでいる

まさに廃線跡の醍醐味だ つづく



2013年4月16日 (火)

布引電気鉄道廃線跡ー1

布引といえば、神戸出身の私には、新神戸駅近辺の地名を思い出すが、長野県小諸市東御市(現)を結ぶ、「布引電気鉄道」の廃線跡なんど昭和年廃止の遺構が残っている

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川を渡る橋脚が残っている

所在無げに残っている様≒自分しか廃線跡だと分からない状況が良い

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終点島川原駅跡は、ホームの縁が残っている

小諸方向を臨む

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この廃線跡は、戦前のものであること&残り具が最高だ

しばし、シリーズ化するとするつづく

2013年4月15日 (月)

新潟交通廃線跡(終)

 最終回 月潟駅から燕方面及び東関屋駅方面や少し歩むと

整備されているようで、なんとなく廃線跡ムードあふれる路盤がある

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この辺りは川べりを走っていた

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廃線ガター橋が残る

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これだけ草むした路盤廃線跡かどうかも分からない風がとても良い

 以上で、私にとっては、無念の新潟交通廃線跡探訪ブログを完結します

ところで、この探訪は年前何度でも探索してみたいものだ



2013年4月14日 (日)

新潟交通廃線跡ー続

月潟駅跡にて、廃線跡廃駅的ムードがある花がきれいだ

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駅の構内も残っている廃車両をのぞむ

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駅舎も残っているやや奇麗に整備されている

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もう一度 燕方向へ戻ってみた線路跡のモニュメントが遺構だ

っとまあ、新潟交通は、月潟駅に限っては、「鉄道があったこと」を語り続けている

2013年4月13日 (土)

武蔵野線3態

武蔵野線は系にバトンタッチしたと思ったら

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系も走っていた東川口駅

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分間隔の間に武蔵野線元々の目的である貨物列車も走る

EFけん引の貨物列車だ 武蔵野線旅客線を走る貨物列車を見たのは久しぶりだ

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武蔵野線は、「東西北」「新」「本町」などが付く駅名が多いオリジナル?は、新座・吉川・三郷だけだ

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でも、駅間が長く、いわゆる「国電」車両が、比較的高速で走る場面を、味わえる

2013年4月12日 (金)

新潟交通廃線跡-8

つづき @月潟駅跡地にて燕駅方向を望む

途切れた廃線路とその先の整備状況のコラボが良い

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かつて、県庁前東関屋の 路面併用区間を走っていた、単行車だ

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月潟駅構内には、新大野駅の駅名表示と

木場駅の駅名表示(平日のみ当駅止まり&始発あり)が飾られちょっとした「記念館」になっている

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この月潟駅跡地には、「新潟交通鉄道線が走っていたこと」を偲ばせる間だ

つづく

2013年4月11日 (木)

新潟交通廃線跡-7

廃止直後より、近代化≒奇麗に整備されすぎてしまったが月潟駅跡地には、旧車両が静態保存されている

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右側は、旧燕行きホームだが、どうやら整備されているようだ

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新潟寄りの線路跡の果ては、ちょっと「廃線跡っぽく」なっている

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月潟燕 間廃止後で、月潟が終点になってしまった時の、駅名板が残っている

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錆び方が、古びていてとても良い こちらのホームはあまり整備されていない

つづく

2013年4月10日 (水)

新潟交通廃線跡-6

つづき

旧月潟駅駅跡に近づくにつれて、レール跡がモニュメントになって現れる

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ちょっと「整備されすぎ」感がある

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遠くに、旧月潟駅跡地&保存車両が見えてきた

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この辺りは、「廃線跡感」がたんまりある

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月潟駅跡地までに来ると、保存用ラッセル車とともに、整備されすぎの線路跡モニュメントも見られる 

新潟交通は、オリジナル車以外にも廃線時には、旧小田急車両も走っていて近代化に努めたものだが、かえすがえす、廃線が惜しまれてならない

つづく

2013年4月 9日 (火)

新潟交通電車線廃線跡-5

(久々の)つづき

新飯田駅跡~生活道路になって、鉄道的カーブを描く道が続く

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川べり防波堤みたいな脇を廃線跡あぜ道が続く

ここを鉄道が走っていたことを知っていた人はだんだんと少なくなっていくのだろう

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六分駅跡地も、所在無げに、駅名票を模した看板が立っていた

これはモニュメントと違い、「本当のもの」を流用した感があるのが良い

つづく




2013年4月 8日 (月)

越後交通寺泊線

本題?に戻って廃線跡探索を

新潟県長岡市越後交通寺泊線跡

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路盤が見事に残っている場所もあれば

駐車場として活用されている箇所もある「寺泊線鉄道敷会」って名前も嬉しい

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線路が残っている箇所もあり橋台が残っている箇所もありここは退屈しない廃線跡だ

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信濃川を超えて長岡駅まで辿りついて行けていれば、今も旅客線として残っていたかもしれない

2013年4月 7日 (日)

ようこそ新車

今日から、私の手元に加わった新車

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ハイブリッドん 感激

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エンジンは勝手に、アイドリンブストップしてくれるし

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何よりも、「自動走行」といってもいい、【クルーズコントロール機能】をようやく手に入れた

 指定した速度で、アクセルワークなく、ずっと走り続けてくれる

なんでも自動化された、人類の行く末が心配?だが 便利なの世の中だ

でも、高速道路で、緊張感なく≒眠らないようにしなくては

2013年4月 6日 (土)

さよなら旧車

 今日は趣向を変えて これは平成年~年まで乗っていた

走行距離万キロ走り回った

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これは平成年から今日まで乗っていた走行距離万キロ

距離数は少ないが、走り回った都県数は多い

明日から、また新車に切り替わる感慨深いものだ

2013年4月 5日 (金)

新潟交通廃線跡-4

つづき小中川駅からは、遊歩道になって、直線が鉄道的であるが、廃線跡の面影は無い

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こんな感じで、整地されているがこういう、草むした路盤があると嬉しい

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新飯田駅跡は、公園内に、駅表示版が、モニュメント的かつ古めかしいままで残っていた

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とにかく新潟交通電車線が今も残っていたらなアアって思う

つづく

2013年4月 4日 (木)

新潟交通廃線跡ー3

つづき 小中川駅跡は、奇麗に整備されている

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遠目では、電車が走ってきそうだ

駅名票も、モニュメント化されている

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現役時代の写真も掲示されているのも味わい深い

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このような、「きれいな廃線跡」も、良いのは良いが

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こういう朽ち果てた廃線跡路盤ガーター橋などがあるほうが、もっと良い

つづく

2013年4月 3日 (水)

新潟交通廃線跡ー2

つづき平成年だから、年前新潟交通電車跡地って言葉が哀愁を誘う

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このような、“廃線跡”っぽい、雑な、路盤が残っているのが良い

これはちょっと、整備されすぎかなでもツウでしか廃線跡って分からないのもそれはそれでよい

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灰方駅跡地は、石碑が立っていた

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石碑が奇麗すぎて周りも整備され鉄道が有ったことを忘れてしまう

ってことで、つづきます

2013年4月 2日 (火)

新潟交通燕駅跡

数年前だが、新潟交通電車線の廃線跡を、JR弥彦線燕駅側から回ってみた

左が、新潟交通燕駅跡地右がJR弥彦線燕駅

新潟交通は、新潟市内白山(市役所)前へ向けて、画面手前へ走っていた

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左が、JR弥彦線弥彦方面右が、新潟交通電車線白山前方向の路盤跡

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燕駅を出ると、新らしい住宅の脇を、見事な鉄道的カーブを描いた、廃線跡が、生活道路になっている

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ちょっと先まで行くと、舗装されていない&ミニ橋脚跡廃線跡っぽい、路盤になる

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新潟市内は、都市の規模の割に、軌道系交通機関が無い、不便な状態となっている 新潟交通電車線が、新潟電鉄になって、新潟市内中心地まで走っていれば、よかったはずだが、叶わぬ夢だった




2013年4月 1日 (月)

西浦和駅

 JR武蔵野線の西浦和駅は、なんとなく印象深い駅だ

大宮~“大宮支線”上を「むさしの号」で、本線との流部分左が西浦和駅右が、武蔵浦和駅方向

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西浦和駅は、大宮支線相互からは停車できなくなった≒「むさしの号」は通過するしかない

ホームも、番線が欠番(大宮支線用)に割り当てられ、旅客線は番線になっている

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上側は、北朝霞~大宮支線と武蔵の旅客線の分岐点

旅客線側が、キロ制限を受け、乗っていると「ガク」っと衝撃を受ける

以前は、大宮支線線路は、武蔵野線旅客電車に対する、貨物列車の退避線も兼ねていたが、上に書いたとおり、配線が変更され、支線は大宮方向に直行するしかなくなった

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