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回送留置中のE系 奥はE系 こちらは、E系こまちと連結状態のE系
@おおよそ、のぞみ号の(N)系以来、新幹線の形式はこのような「カモノハシ」状態に決まったようだ
左が、営業運転のはやて(&こまち)E系右が、回送留置中の同 E系×が撮影できた
上の回送留置Eを無効に、営業運転の←左E系 つばさE系 はやて 右→
なかなか 良いコラボレーションが撮影できた
通常、武蔵野線京葉線東京京葉線南船橋と交互に走るはずが連続して南船橋&海浜幕張方向へ電車が走る時間帯がある
武蔵野線が貨物線だったのはとうの昔今は、通称ギャンブル路線 と言われるくらい土日分毎 平日分毎だ
東武東上線「朝霞台」駅からJR武蔵野線「北朝霞」駅 JR武蔵野線「北朝霞」駅から東武東上線「朝霞台」駅
武蔵野線は、半環状路線だから、各路線と接続が多いこの両駅は雨の日も傘無しで乗り換えられる
しかし、新秋津秋津(西武)&南越谷新越谷(東武)&新八柱八柱(新京成)など、他社路線は、駅名が違うことが多い
武蔵野線府中本町行きが、東武東上線を跨って発車
なお、朝霞市役所は、東武東上線朝霞駅が違いが、乗降客数は乗り換え駅の強みか、朝霞台駅の方が多い かつては急行は朝霞&朝霞台とも通過していたが、朝霞台駅には停車するようになった
武蔵野線海浜幕張行き
かつては、の吹き溜まりだったが、がドンドン導入されたLED表示に慣れると幕回しが懐かしい
埼京線大宮行き
旧京葉線車両が、大宮駅南方に長期留置されている
鉄道ファンであってもなくても、気になる、「新幹線」同士の連結ドッキングは、フル規格E系
は、在来規格E系車体の違いが明らか
E系は、新幹線駅では、ステップが出る
JR東日本京浜東北線の大宮駅昼間時の快速運転中
E系は、中央快速線と同様(各駅停車区間も含め)全停車駅をスクロールしてくれる
中央快速線なら、平日中野以西高尾(青梅)などまで、「全部の駅」をスクロール
だから、大宮駅でも、【港南台】などの、“根岸線の駅名”を見ることができる
良いのか、悪いのかはわからない
右は、東京メトロ東西線三鷹からの直通各駅停車N系@番線その奥は、E系@番線この時の時刻が分くらいだったから、「かいじ」でも「あずさ」でもなおそらく回送車両か
東京メトロ車両JR東日本汎用特急車両が、「右側通行」ですれ違うのも、なかなかの良いコラボレーション
余談だが、土日の昼間時このJR⇒東西線直通各停(A線)は、葛西で快速に抜かれる 逆(B線)の、JR直通三鷹行きは、葛西で抜かれず、快速中野行きは、中野行き各停を抜く
この辺り、東葉車は、JRに乗り入れできないのだから≒東葉勝田台発の快速B線は、三鷹行き各停を追い抜くようにすれば、効率も良い≒速い 以外の快速運転の効果もあると思う
東京メトロN系@中野駅(奥は、JR中央線E系快速)
東葉高速系快速東葉勝田台行き
全く 「スペック≒外見」は同じだ東葉高速系は、メトロ東西線内での「アナウンス更新」は進んでいない
東北新幹線やまびこ号≒【こまちタイプ車両連結】の(E&)E系のやまびこ
えきねっとで、C席を予約しても、こまちタイプ車両だと、【優雅に座れ】ない
「今日の“鹿島槍ヶ岳”」の予定が、残念ながらのため標題のタイトルになりました
いつ見ても、ピラミダルで良い あの上に登ると、“本家”槍ヶ岳が見える
国道号 長野県新潟県境付近
信越線長野側を見下ろす左上から右に直線でトンネルに入るのが現在線右下中央へカーブを描くのが、旧線路跡
新潟県側旧線の廃線跡はきれいなあぜ道となって、昔を偲ばせてくれる
頸城鉄道旧浦川原駅跡~現頸城バスのバス停になっているが、駅舎は見事に残っている
背後には 北越急行ほくほく線の線があるのと、見事な新旧対比だ
現ほくほく線の「くびきの」駅は、もう少し直江津寄りにある
長野電鉄湯田中駅の信州中野寄りの勾配 きれいな線路の路盤の奥の、平坦な路盤がスイッチバック時代の名残
上記位置から、現ホームを
きれいな路盤の部分へと、ホームを曲げている。右の草むらが、スイッチバック時代の路盤
駅近くの地図には、未だに、スイッチバック時代の線路図駅を線路が通り越してスイッチバックが描かれている
上の枚の写真は、上記写真の「“ゆ”だなか」の【ゆ】辺りから撮影したもの
信濃大町駅付近からだと、鹿島槍が岳の双耳峰が、松本市内に比して、グッと近くに見える
後から、「あの頂上に登った~感」が、登山の魅力だ
車に乗る機会が増えた
残念ながら、kmは、スルーしてしまったが 一応キリの良いkmを激写した
次は、@いないいない(バア)かな
今の車は、人生台目前車は、回も車検受けずに、今の車を買ってしまうという、リッチなことをしてしまったが、来年の車検は通すこととしよう
大糸線島内駅(線スルーの行き違い駅)の大町より踏切の絵が、E「あずさ」をモデルにしており、ユニークだ しっかり、緑の字で「Azusa」と書いてある@JR東日本の汎用特急車両になってしまったEEスーパーあずさ が失敗作だったためか
信越線川中島駅「上り」ホーム表示
信越線(しなの鉄道)は、横川軽井沢が、分断されて以来、なんとなく「長野」中心に考えて、長野発軽井沢&松本方面が「下り」に感じるが、相変わらず、上野発があった頃の、【名残り】で、今も、軽井沢&松本発長野方面が、下りである
それはそうと、信越線であることは間違いないし、流動はしなの鉄道側が多いとして(特急しなのは通過)も、ホーム路面表示みたいに、【篠ノ井線方面】と記すべきである
台風が来た月日の夜長野駅では、特急しなのが時以降運休
長野松本 の移動者のために、臨時快速を運転
停車駅は、篠ノ井&明科要は、「本来の“しなの”」の【筋】だ使用車両は見られなかったが、珍しい光景に「パチリ」
そういえば、別の日のしなのは、長野方の「パノラマグリーン車」の連結が無く、付属編成のみの++≒両編成だった付属編成のみの両運転(@自由席両)の時もあるから、しなのの(自由席)利用者は、毎度ヒヤヒヤだ
歴史上の大「合戦地」
関ヶ原JR関ヶ原駅桶狭間名鉄中京競馬場駅が最寄りだ
しかし、JR川中島駅は、川中島合戦場の最寄りではない。旧川中島町の範囲は広い
両隣駅が、今井安茂里っと、駅に囲まれた、国鉄色が残る駅だ
安曇野市豊科~の(常念坊に由来する)「常念岳」 ピラミダルな 優しい山容とは裏腹に厳しい山
特に、常念小屋から、山頂までの登り下りは、 槍ヶ岳が見えてこそ感激するもの
穏やかな山容厳しい登路は、蓼科山も同じだった
左側が常念岳のアップ
左に爺ガ岳のコブ、その隣に鹿島槍ヶ岳の頭頂部があそこに登ったことあるうううっという足感あり
これは一昨日で、やや霞がち
今日は、「放射冷却の寒さ」の代わりに、で、しっかり爺が岳の頂上&鹿島槍ヶ岳の双耳峰が見えました
今日から、豊科インターは、安曇野インターに名称変更
筑摩郡麻績村の聖湖≒聖高原~篠ノ井線聖高原駅に行かずに、三和峠へ上がる道へ
三和峠から高低差メートルの標高メートルの聖山へ
若干時間くらいの軽めの上り
残念ながら、頂上からの眺望は良くなかったが、晴れていたら、北アルプス槍ヶ岳や、八ヶ岳&浅間山まで見られるようだ
姨捨よりも更に上の国道から
見下ろした善光寺平晴れていれば、飯綱山などが見られるだろう
長野電鉄~関西で言う「先発≒こんど」「次発≒つぎ」(首都圏の私鉄「次々発≒そのつぎ」)との表現である。
静岡県の静岡鉄道も、「こんど→つぎ」表現である。
国語的に言うと、「こんど=今度」も「つぎ=次」も 同じ意味なので、関西人としては、【なんでやねん】と突っ込みたくなる
しかし、“広まった表現”として受け入れられるのであろう
しなの鉄道屋代駅@手前が同上り(軽井沢方面)その奥が、旧長電屋代駅跡ホームが残っている
この右側の「長電テクニカルサービス」の倉庫は、閉鎖している感じ
屋代駅から屋代高校前(長野)方面へしなの鉄道に乗ると、長電屋代線の線路跡が昔のままの通り、しばらく並行する
踏切も線路跡が残っている
いずれこの光景もなくなる線路は剥がされるのかなあ
BRTも変だから、なんとか「長野地下駅松代」の路線を開業できていればよかったかな
湯田中駅の復元旧駅舎が右に現駅舎が左にそして 旧系@現系スノーモンキーが止まっている
昔は、上記写真の位置から背後のの奥の部分まで線路が伸びており横断歩道部分に踏切があった
湯田中駅進入口が勾配の関係上、「一度終着駅を通過する」って珍しい光景が見られたものだ
今は系ゆけむりとともに、ホテルの営業看板になっている砂利道部分が線路跡
と「鳴り物入りで」名乗るからには、“それ相応の車両”を期待したがなんのことはない「(戸倉まで)ワンマン運転」のだった 一応「快速 長野」の表示は 凛々しいが
せめて湘南編成を期待したが 長野軽井沢直通が売りってことでした
スノーモンキー系は須坂駅で(旧小田急ロマンスカー)ゆけむり系とすれ違い
ゆけむり系は、元メトロ日比谷線車両(車庫に中)と並んだ
ゆけむり展望室は、長電の中では異様に映るが、もはや見慣れた光景だ
長電オリジナル系は、小布施駅で静態保存されていた&須坂駅のOSカーが残るのみだ
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